塩山市の位置 |
しおのやまと塩山(えんざん)の地名の由来について この碑に刻まれています「しほの山差出の磯にすむ千鳥 君が御代をば八千代とぞなく」の歌は、『古今和歌集』の「賀歌」、つまり長寿を祝う歌として詠まれました。以来「しおのやま」は歌枕として多くの歌人に好んで用いられました。室町時代になると「塩山蒔絵」のような美術工芸品のデザインにまで発展しました。なお、箏曲「千鳥の曲」でもよくしられています。 この塩山は塩山市街地の中央に位置して、標高は554メートルほどの孤立した山です。 「しおのやま」の名の由来については定かではありませんが、康暦2年、1380年に抜隊得勝禅師がその南麓に向嶽寺を開創した際、「しおのやま」を「塩山」として、寺の山号としました。現在、これを向嶽寺中門に懸かる抜隊禅師が書いた扁額にみることができます。 地名としての塩山は、明治36年に国鉄中央線が開通した際、駅の名に「塩山」を用いたのにはじまり、昭和3年に当時の七里村が町制を施行するにあたって、町の名を「塩山町」とし、さらに昭和29年には周辺5か村と合併して、市制を施行する際もこの「塩山」が市の名となりました。 (以上は、塩山駅北口に建設された碑に書かれています) |
塩山市のプ口フィール
塩山市は、甲府盆地の北東部に位置し、総面積は18,474haあり、南西部が平坦地で東部から北部へかけて、大菩薩嶺(2,057m)などをはじめとする急しゅんな山岳地帯となっており、特に柳沢峠以東は、広大な山岳地帯で東京都の水源林となっています。
平坦部と山岳部との間の丘陵地帯は複合扇状地で、中央本線以南は沖積層の地帯があり、これらの地域に耕地が開けています。平坦部には孤立した塩の山(552.8m)があります。
当市の歴史は古く1千余年前平安中期以来の歴史が記録されており、峡東地方の政治・経済・産業・商工業・交通・教育・文化の中心地として栄え発展し、「甲州の鎌倉」と称されるほど史跡、文化財、名勝に恵まれている。
自然環境は、東に大菩薩峠、連嶺、北に秩父多摩国立公園、奥秩父連山、南に勝沼葡萄郷を有し、北西を笛吹川、中心部を重川の清流が流れ、市の東北端には恵林寺、東山の一角に立つと甲府盆地が一望の下に俯瞰され、南に霊峰富士、御坂連山、西に南アルプス連峰が展望され、この景観は「天下の名俯瞰展望」と称されている。
市街地周辺は気候風土、地質に恵まれた農産地帯で優良な葡萄・桃・すもも・桜桃・枯露柿・梅等の果実、葡萄酒・乾葡萄・月の雫・勝栗等の特産物を豊富に産し、トマト・なす・きゅうりのそ菜類と共に京浜首都圏市場の供給地となっています。
交通機関は、市の南部をJR中央本線が東西に走り、首都圏まで、1時間20分以内となり、また、中央自動車道、勝沼・塩山ICまで市の中心部から10分、首都圏まで1時間40分位の距離となっています。
一方、平成9年度には、国道140号線の雁坂卜ンネルも開通したことから、北関東方面との距離も大幅に短縮されています。
市章 塩山(エン山)の文字を翼状に図案化し、躍進塩山市を発展的雄飛の象徴として表現したもの |
市の花/ハギ | 市の木/モミ |
市 民 憲 章 |
わたくしたち塩山市民は、栄光の歴史と、美しい自然に恵まれたふるさとに感謝し、この幸せをだいじにします。
わたくしたちは、誇りと自信をもって、この市民憲章を守り、このことをみずからに誓い、力を合わせて明るく豊かなまちづくりに努めます。 一、自然を守り、うるおいのあるまちをつくります。 一、勤労を尊び、活力みなぎるまちをつくります。 一、スポ―ツに親しみ、健康で明るいまちをつくります。 一、ふるさとの歴史に学び、教養と文化のまちをつくります。 一、人を愛し、平和で楽しいまちをつくります。 |
市役所所在地 | 山梨県塩山市上於曽1040番地 |
電 話 番 号 | 0553−32−2111 |
人 口 | 26,415人(平成16年9月1日現在) |
国際友好都市 | アメリカ合衆国アイオワ州エイムズ市 |
姉妹都市 | 千葉県富津市(富津市) |